文革期文学研究

毛沢東「延安の文芸座談会における講話」


まえおき/結論


汉语 日本語
引言
(一九四二年五月二日)
まえおき
(1942年5月2日)
0-1.   同志们!今天邀集大家来开座谈会,目的是要和大家交换意见,研究文艺工作和一般革命工作的关系,求得革命文艺的正确发展,求得革命文艺对其他革命工作的更好的协助,借以打倒我们民族的敌人,完成民族解放的任务。 0-1.   同志諸君! 今日、皆さんに集まってもらい座談会を開いた目的は、文芸活動と革命活動一般との関係について、皆さんと意見を交換し、検討することにある。それは、革命 的文芸の正しい発展をはかり、その他の活動に対する革命的文芸のより良い協力をはかって、我が民族の敵を打倒し、民族解放の任務を完遂するためである。
0-2.   在我们为中国人民解放的斗争中,有各种的战 线,就中也可以说有文武两个战线,这就是文化战线和军事战线。我们要战胜敌人,首先要依靠手里拿枪的军队。但是仅仅有这种军队是不够的,我们还要有文化的 军队,这是团结自己、战胜敌人必不可少的一支军队。
0-3.   “五四”⑴以来,这支文化军队就在中国形成, 帮助了中国革命,使中国的封建文化和适应帝国主义侵略的买办文化的地盘逐渐缩小,其力量逐渐削弱。到了现在,中国反动派只能提出所谓“以数量对质量”的办 法来和新文化对抗,就是说,反动派有的是钱,虽然拿不出好东西,但是可以拚命出得多。在“五四”以来的文化战线上,文学和艺术是一个重要的有成绩的部门。 革命的文学艺术运动,在十年内战时期有了大的发展。这个运动和当时的革命战争,在总的方向上是一致的,但在实际工作上却没有互相结合起来,这是因为当时的 反动派把这两支兄弟军队从中隔断了的缘故。抗日战争爆发以后,革命的文艺工作者来到延安和各个抗日根据地的多起来了,这是很好的事。但是到了根据地,并不 是说就已经和根据地的人民群众完全结合了。我们要把革命工作向前推进,就要使这两者完全结合起来。
0-4.   我们今天开会,就是要使文艺很好地成为整个革 命机器的一个组成部分,作为团结人民、教育人民、打击敌人、消灭敌人的有力的武器,帮助人民同心同德地和敌人作斗争。为了这个目的,有些什么问题应该解决 的呢?我以为有这样一些问题,即文艺工作者的立场问题,态度问题,工作对象问题,工作问题和学习问题。
0-2.   中国人民解放のための我々の闘争にはさまざま な戦線があるが、その中には文と武の二つの戦線、つまり、文化戦線と軍事戦線があると言ってもよい。我々が敵に打ち勝つには、まず銃を手にした軍隊に頼ら なければならない。しかしこの軍隊だけでは不十分であり、我々にはさらに文化の軍隊が必要であって、この軍隊は味方 を団結させ、敵に打ち勝つうえで欠くことのできない軍隊である。
0-3.   この文化の軍隊は“五四” 〔1〕の時から中国で形づくられ 、中国革命を助けて、中国の封建文化および帝国主義の侵略に適応する買弁文化の地盤を次第に縮小させ、その勢力を次第に弱体化させてきた。今では 、中国の反動派は新文化に対抗するのに 、いわゆる“量で質にあたる”という方法しか 持ち出せ なく なっている。つまり、反動派には金があり、 たとえ 良いものは出せなくとも、必死になってたくさん出すことはできるというわけである。 “五四”以来の文化戦線において、文学と芸術は成果のあがった重要な部門である。革命的文学芸術運動は、10年の内戦期に大きな発展を遂げた 。この運動は当時の革命戦争と全体的な方向では一致していたが、実際の活動では互いに結びついていなかった。それは、当時の反動派がこの二つの兄弟の軍隊 の間を断ち切っていた からである。抗日戦争が 起こってから 、延安や各地の抗日根拠地にやってくる革命的な文芸工作者が多くなってきたが 、これはけっこうなことである。しかし、根拠地へ来たからといって、もう根拠地の人民大衆と完全に結びついたというわけではない。我々が革命活動を前進さ せるには、この両者を完全に結びつけなければならない。
0-4.   我々が今日、会を開いたのは、 人民を団結させ、人民を教育し、敵に打撃を与え、敵を消滅する有力な武器として、文芸を革命という機械全体の一構成部分にふさわしいものにするためであり 、これによって、人民が 一心同体となって敵と闘争できるよう助けするのである。この目的のためには、どのような問題を解決すべきだろうか。次のような問題、すなわち、文芸工作者 の立場の問題・態度の問題、工作対象の問題、工作の問題、学習の問題があると思う。
0-5.   立场问题。我们是站在无产阶级的和人民大众的立场。对于共产党员来说,也就是要站在党的立场,站在党性和党的政策的立场。在这个问题上,我们的文艺工作者中是否还有认识不正确或者认识不明确的呢?我看是有的。许多同志常常失掉了自己的正确的立场。 0-5.   立場の問題。我 々はプロレタリア階級の立場、人民大衆の立場に立つものである。共産党員について言えば、とりもなおさず、党の立場に立つのであり、党性および党の政策の 立場に立つのである。この問題について、我々の文芸工作者のあいだに認識の正しくないか、はっきりしていない者がいるのではないだろうか。私はいると思 う。多くの同志はしばしば自分の正しい立場を失っている。
0-6.   态度问题。随着立场,就发生我们对于各种具体 事物所采取的具体态度。比如说,歌颂呢,还是暴露呢?这就是态度问题。究竟哪种态度是我们需要的?我说两种都需要,问题是在对什么人。有三种人,一种是敌 人,一种是统一战线中的同盟者,一种是自己人,这第三种人就是人民群众及其先锋队。对于这三种人需要有三种态度。
0-7.   对于敌人,对于日本帝国主义和一切人民的敌 人,革命文艺工作者的任务是在暴露他们的残暴和欺骗,并指出他们必然要失败的趋势,鼓励抗日军民同心同德,坚决地打倒他们。对于统一战线中各种不同的同盟 者,我们的态度应该是有联合,有批评,有各种不同的联合,有各种不同的批评。他们的抗战,我们是赞成的;如果有成绩,我们也是赞扬的。但是如果抗战不积 极,我们就应该批评。如果有人要反共反人民,要一天一天走上反动的道路,那我们就要坚决反对。
0-8.   至于对人民群众,对人民的劳动和斗争,对人民 的军队,人民的政党,我们当然应该赞扬。人民也有缺点的。无产阶级中还有许多人保留着小资产阶级的思想,农民和城市小资产阶级都有落后的思想,这些就是他 们在斗争中的负担。我们应该长期地耐心地教育他们,帮助他们摆脱背上的包袱,同自己的缺点错误作斗争,使他们能够大踏步地前进。他们在斗争中已经改造或正 在改造自己,我们的文艺应该描写他们的这个改造过程。只要不是坚持错误的人,我们就不应该只看到片面就去错误地讥笑他们,甚至敌视他们。
0-9.   我们所写的东西,应该是使他们团结,使他们进步,使他们同心同德,向前奋斗,去掉落后的东西,发扬革命的东西,而决不是相反。
0-6.    態度の問題。立場に応じて、さま ざまな具体的な事物に対する我々の具体的な態度が生まれてくる。例えば、賛美するのか、それとも暴露するのか、これが態度の問題である。我々は一体どちら の態度を必要としているのか。私に言わせればどちらも必要であり、問題はどのような人々に対してかということである。三種類の人々がいる。一つは敵、一つ は統一戦線内の同盟者、一つは味方である。この三番目の人々が人民大衆およびその前衛隊である。この三種類の人々に対しては三種類の態度が必要である。
0-7.   敵に対して、すなわち日本帝国主義およびすべ ての人民の敵に対しては、革命的な文芸工作者の任務は彼らの残虐さと欺瞞を暴露するとともに、彼らの失敗が必至であることを指摘し、抗日の軍隊と人民が一 心同体となって、断固として敵を打倒するよう励ますことである。統一戦線内のさまざまな異なった同盟者に対しては、我々の態度は連合もすれば批判もする、 さまざまな異なった連合もすれば、さまざまな異なった批判もする、ということでなければならない。彼らの抗戦には我々は賛同する。もし成果があれば我々も 称賛する。しかし彼らが抗戦に積極的でないならば、我々は彼らを批判すべきである。もし反共・反人民に走り、日ごとに反動への道を進む者があれば、我々は 断固として反対する。
0-8.   人民大衆に対し、人民の労働と闘争に対し、人 民の軍隊、人民の政府に対しては、我々はもちろん称賛すべきである。人民にも欠点はある。プロレタリア階級の中ではまだ多くの者がプチブル階級の思想を 持っており、農民や都市のプチブル階級は立ち遅れた思想を持っていて、これらが彼らの闘争の中での負担となっている。我々は、彼らが大きく前進できるよう に、長期にわたって辛抱強く彼らを教育し、彼らが肩の重荷を投げ捨て、自分の欠点や誤りと闘うのを助けるべきである。彼らは闘争の中ですでに自己を改造し たか、あるいは改造しつつある。我々の文芸は彼らのこの改造の過程を描くべきである。誤りを固執する者でないかぎり、我々はその一面だけを見て、彼らを嘲 笑し、ひいては敵視するという誤った態度を取るべきではない。
0-9.我々が描くものは、彼らが団結し、彼らが進歩し、彼らが一心同体となって、ひたむきに奮闘し、立ち遅れたものを捨てて、革命的なものを伸ばすようにしむけるようなものでなくてはならず、けっしてその反対であってはならない。
0-10.   工作对象问题,就是文艺作品给谁看的问题。 在陕甘宁边区,在华北华中各抗日根据地,这个问题和在国民党统治区不同,和在抗战以前的上海更不同。在上海时期,革命文艺作品的接受者是以一部分学生、职 员、店员为主。在抗战以后的国民党统治区,范围曾有过一些扩大,但基本上也还是以这些人为主,因为那里的政府把工农兵和革命文艺互相隔绝了。
0-11.   在我们的根据地就完全不同。文艺作品在根据 地的接受者,是工农兵以及革命的干部。根据地也有学生,但这些学生和旧式学生也不相同,他们不是过去的干部,就是未来的干部。各种干部,部队的战士,工厂 的工人,农村的农民,他们识了字,就要看书、看报,不识字的,也要看戏、看画、唱歌、听音乐,他们就是我们文艺作品的接受者。
0-12.   即拿干部说,你们不要以为这部分人数目少, 这比在国民党统治区出一本书的读者多得多。在那里,一本书一版平常只有两千册,三版也才六千册;但是根据地的干部,单是在延安能看书的就有一万多。而且这 些干部许多都是久经锻炼的革命家,他们是从全国各地来的,他们也要到各地去工作,所以对于这些人做教育工作,是有重大意义的。我们的文艺工作者,应该向他 们好好做工作。
0-1O.   活動対象の問題、すなわち文芸作品を誰に見 せるかという問題。陝西、甘粛、寧夏辺区や華北、華中の各抗日根拠地では、この問題は、国民党支配区とは異なり、抗戦以前の上海とはなおさら異なってい る。上海の時期には、革命的な文芸作品の受け取り手は、主として一部の学生、職員、店員であった。抗戦以後の国民党支配区では、その範囲はいくらか広がっ たこともあるが、基本的にはやはりこれらの人々が主となっている。なぜなら、そこの政府が労農兵を革命的な文芸から切り離しているからである。
0-11.   我々の根拠地では、まったくこれと異なって いる。根拠地では、文芸作品の受け取り手は、労農兵および革命幹部である。根拠地には学生もいるが、これらの学生は、また旧式の学生とは異なっていて、以 前から幹部であった者か、将来、幹部になる者である。さまざまな幹部、部隊の戦士、工場の労働者、農村の農民は、文字を覚えれば、本や新聞を読もうとする し、文字を知らない者でも、芝居を見、絵を見、歌を歌い、音楽を聴こうとするのであって、彼らこそ我々の文芸作品の受け取り手である。
0-12.   幹部について言っても、その数が少ないと考 えるべきでなく、国民党支配区で1冊の本が出版された場合の読者よりもはるかに多いのである。国民党支配区ではふつう1冊の本は1版がせいぜい2千部で、 3版出してもやっと6千部である。しかし、根拠地の幹部で本が読める者は延安だけでも1万人以上はいる。しかも、これらの幹部の多くは、長い間鍛えられて きた革命家で、彼らは全国各地から来ており、また各地へ活動に行くのであるから、これらの人々に対する教育活動は大きな意義を持っている。我々の文芸工作 者は、こららの人々に対する活動をしっかりと行うべきである。
0-13.   既然文艺工作的对象是工农兵及其干部,就发 生一个了解他们熟悉他们的问题。而为要了解他们,熟悉他们,为要在党政机关,在农村,在工厂,在八路军新四军里面,了解各种人,熟悉各种人,了解各种事 情,熟悉各种事情,就需要做很多的工作。我们的文艺工作者需要做自己的文艺工作,但是这个了解人熟悉人的工作却是第一位的工作。我们的文艺工作者对于这 些,以前是一种什么情形呢?我说以前是不熟,不懂,英雄无用武之地。
0-14.   什么是不熟?人不熟。文艺工作者同自己的描 写对象和作品接受者不熟,或者简直生疏得很。我们的文艺工作者不熟悉工人,不熟悉农民,不熟悉士兵,也不熟悉他们的干部。什么是不懂?语言不懂,就是说, 对于人民群众的丰富的生动的语言,缺乏充分的知识。许多文艺工作者由于自己脱离群众、生活空虚,当然也就不熟悉人民的语言,因此他们的作品不但显得语言无 味,而且里面常常夹着一些生造出来的和人民的语言相对立的不三不四的词句。许多同志爱说“大众化”,但是什么叫做大众化呢?就是我们的文艺工作者的思想感 情和工农兵大众的思想感情打成一片。而要打成一片,就应当认真学习群众的语言。如果连群众的语言都有许多不懂,还讲什么文艺创造呢?
0-15.   英雄无用武之地,就是说,你的一套大道理,群众不赏识。在群众面前把你的资格摆得越老,越像个“英雄”,越要出卖这一套,群众就越不买你的账。你要群众了解你,你要和群众打成一片,就得下决心,经过长期的甚至是痛苦的磨练。
0-16.   在这里,我可以说一说我自己感情变化的经 验。我是个学生出身的人,在学校养成了一种学生习惯,在一大群肩不能挑手不能提的学生面前做一点劳动的事,比如自己挑行李吧,也觉得不像样子。那时,我觉 得世界上干净的人只有知识分子,工人农民总是比较脏的。知识分子的衣服,别人的我可以穿,以为是干净的;工人农民的衣服,我就不愿意穿,以为是脏的。革命 了,同工人农民和革命军的战士在一起了,我逐渐熟悉他们,他们也逐渐熟悉了我。这时,只是在这时,我才根本地改变了资产阶级学校所教给我的那种资产阶级的 和小资产阶级的感情。这时,拿未曾改造的知识分子和工人农民比较,就觉得知识分子不干净了,最干净的还是工人农民,尽管他们手是黑的,脚上有牛屎,还是比 资产阶级和小资产阶级知识分子都干净。这就叫做感情起了变化,由一个阶级变到另一个阶级。
0-17.   我们知识分子出身的文艺工作者,要使自己的作品为群众所欢迎,就得把自己的思想感情来一个变化,来一番改造。没有这个变化,没有这个改造,什么事情都是做不好的,都是格格不入的。
0-13.   文芸活動の対象が労農兵およびその幹部であ る以上、彼らを理解し、彼らを熟知するという問題が生まれてくる。そして、彼らを理解し、彼らを熟知するためには、また、党・政府機関、農村、工場、八路 軍・新四軍の中でさまざまな人を理解し、さまざまな人を熟知し、さまざまな事柄を理解し、さまざまな事柄を熟知するためには、多くの活動を行う必要があ る。我々の文芸工作者は自分の文芸活動を行う必要があるが、人を理解し人を熟知するというこの活動の方が第一の活動なのである。我々の文芸工作者はこれら について、今までどのような状態にあっただろうか。私に言わせると、今までは、知らず、わからず、英雄も腕を振るう場所なし、というものであった。
0-14.   知らず、とはどういうことか。人を知らない ということである。文芸工作者が、自分の描く対象や作品の受け取り手を知らないか、あるいはまったく疎いということである。我々の文芸工作者は労働者を熟 知せず、農民を熟知せず、兵士を熟知せず、また彼らの幹部を熟知していない。わからず、とはどういうことか。言葉がわかっていないということ、つまり、人 民大衆の豊かで生き生きとした言葉について、十分な知識に欠けているということである。多くの文芸工作者は、自分が大衆から遊離し、生活が空虚なことか ら、当然、人民の言葉も熟知していない。したがって、彼らの作品は、言葉に味がないばかりでなく、そこにはしばしば、無理にこしらえた、人民の言葉とは対 立するようなわけのわからない語句が混じっている。多くの同志はしきりに"大衆化"を口にするが、しかし、大衆化とはなんだろうか。大衆化とは、我々の文 芸工作者の思想感情が労農兵大衆の思想感情と一つに溶けあうことである。そして、一つに溶けあうためには、大衆の言葉を真剣に学ばなければならない。大衆 の言葉にさえわからないことがたくさんあるとすれば、文芸の創造など話にもならない。
0-15.   英雄も腕の振るう場所なしとは、ひとそろい の大理屈を並べ立てても、大衆は感心しないということである。大衆の前で、先輩風を吹かせば吹かすほど、"英雄"ぶればぶるほど、そのひとそろいのものを 売りつけようとすればするほど、大衆はそれをますます買わなくなるだろう。大衆から理解してもらい、大衆と一つに溶けあおうとするならば、長い間の、苦痛 でさえある試練を経る決心をしなければならない。
0-16.   ここで、私自身の感情の変化についての経験 を話してみよう。私は学生出身であり、学校で学生気質が身に付いてしまったため、物を肩で担ぐことも手に提げることもできない大勢の学生の前では、自分の 荷物をかつぐような、ちょっとした力仕事をすることさえ、みっともないことだと感じていた。その頃、私は、世の中できれいな人間は知識分子だけで、労働 者、農民は、なんといってもそれよりきたない、と思っていた。知識分子の服ならばきれいだと考え、他人の物でも着られるのに、労働者、農民の服はきたない と考えて、着るきになれなかった。革命をやり、労働者、農民や革命軍の戦士たちといっしょになってから、私は次第に彼らを熟知するようになり、彼らもまた 私のことを熟知するようになった。その時、まさにその時から、私はブルジョア学校で教えられた、あのブルジョア的、プチブル的な感情を根本的に改めたので ある。その時になって、まだ改造されていない知識分子を労働者、農民と比べてみると、知識分子はきれいではなく、もっともきれいなのはやはり労働者、農民 であり、たとえ、彼らの手が真っ黒で、足には牛の糞がついていても、やはりブルジョア階級やプチブル階級の知識分子よりずっときれいだと思うようになっ た。感情に変化がおこり、ある階級から他の階級に変わったというのはこのことである。
0-17.   我々知識分子出身の文芸工作者が、自分の作品を大衆に歓迎されるものにするには、自分の思想感情に変化を起こし、その改造を行わなければならない。この変化、この改造なしには、なにごともうまくいかず、しっくりしないものである。
0-18.   最后一个问题是学习,我的意思是说学习马克 思列宁主义和学习社会。一个自命为马克思主义的革命作家,尤其是党员作家,必须有马克思列宁主义的知识。但是现在有些同志,却缺少马克思主义的基本观点。 比如说,马克思主义的一个基本观点,就是存在决定意识,就是阶级斗争和民族斗争的客观现实决定我们的思想感情。
0-19.   但是我们有些同志却把这个问题弄颠倒了,说 什么一切应该从“爱”出发。就说爱吧,在阶级社会里,也只有阶级的爱,但是这些同志却要追求什么超阶级的爱,抽象的爱,以及抽象的自由、抽象的真理、抽象 的人性等等。这是表明这些同志是受了资产阶级的很深的影响。
0-20.   应该很彻底地清算这种影响,很虚心地学习马 克思列宁主义。文艺工作者应该学习文艺创作,这是对的,但是马克思列宁主义是一切革命者都应该学习的科学,文艺工作者不能是例外。文艺工作者要学习社会, 这就是说,要研究社会上的各个阶级,研究它们的相互关系和各自状况,研究它们的面貌和它们的心理。只有把这些弄清楚了,我们的文艺才能有丰富的内容和正确 的方向。
0-18.   最後の問題は学習で、それはマルクス・レー ニン主義の学習と社会の学習のことである。マルクス・レーニン主義の革命的な作家を自任する者は、わけても党員作家は、マルクス・レーニン主義の知識を持 たなければならない。しかし、現在、一部の同志たちには、マルクス主義の基本的観点が欠けている。例えば、存在が意識を決定するということ、階級闘争と民 族闘争の客観的現実が我々の思想・感情を決定することは、マルクス主義の基本的観点の一つである。
0-19.   ところが、我々の一部の同志たちは、この問 題を転倒させてしまい、すべては"愛"から出発すべきだなどと言っている。愛について言うならば、階級社会では、階級的な愛しかないのに、これらの同志た ちは、何か超階級的な愛とか、抽象的な愛とか、また、抽象的な自由、抽象的な真理、抽象的な人間性とかいったものを追求しようとしている。このことは、こ れらの同志たちがブルジョア階級の影響を深く受けていることを示している。
0-20.   こうした影響を徹底的に一掃し、虚心にマル クス・レーニン主義を学習すべきである。文芸工作者は文芸創作を学習すべきであること、これは正しい。しかし、マルクス・レーニン主義はすべての革命家が 学習すべき科学であり、文芸工作者も例外ではありえない。文芸工作者は社会を学習しなければならない。つまり、社会の各階級を研究し、それらの相互関係お よびそれぞれの状態を研究し、それらの相貌や心理を研究しなければならないのである。我々の文芸が豊かな内容と正しい方向を持つには、これらの点をはあき らかにする以外にない。
0-21.   今天我就只提出这几个问题,当作引子,希望大家在这些问题及其他有关的问题上发表意见。 0-21.   今日は話のきっかけとして、これらのいくつかの問題を提起したにすぎない。みなさんがこれらの問題やその他の関連ある問題について意見を述べられるよう希望する。
结论
(一九四二年五月二十三日)
結論
(1942年5月23日)
0-22.      同志们!我们这个会在一个月里开了三次。大家为了追求真理,进行了热烈的争论,有党的和非党的同志几十个人讲了话,把问题展开了,并且具体化了。我认为这是对整个文学艺术运动很有益处的。 0-22.   同志諸君! 我々のこの座談会は、1ヶ月の間に3回開かれた。みんなが真理探求のために活発な論争を繰り広げ、党内、党外の同志たち数十人が発言して、問題を発展さ せ、さらに具体化させた。これは文学芸術運動全体にとって、益するところが大きいと思う。
0-23.   我们讨论问题,应当从实际出发,不是从定义 出发。如果我们按照教科书,找到什么是文学、什么是艺术的定义,然后按照它们来规定今天文艺运动的方针,来评判今天所发生的各种见解和争论,这种方法是不 正确的。我们是马克思主义者,马克思主义叫我们看问题不要从抽象的定义出发,而要从客观存在的事实出发,从分析这些事实中找出方针、政策、办法来。我们现 在讨论文艺工作,也应该这样做。 0-23.   問題を討論するには、定義から出発するので はなく、実際から出発すべきである。もし我々が、教科書にしたがって、文学とは何か、芸術とは何かという定義を見つけ出し、その後、その定義にしたがって 今日の文芸運動の方針を規定し、今日発生しているさまざまな見解や論争を評価するならば、そうした方法は正しくない。我々はマルクス主義者であり、マルク ス主義は、我々が問題を見る際、抽象的な定義から出発するのではなく、客観的に存在する事実から出発し、これらの事実の分析の中から方針、政策、方法を探 し出さなければならないと教えている。現在、文芸活動を論じるにあたっても、我々はそのようにすべきである。
0-24.   现在的事实是什么呢?事实就是:中国的已经 进行了五年的抗日战争;全世界的反法西斯战争;中国大地主大资产阶级在抗日战争中的动摇和对于人民的高压政策;“五四”以来的革命文艺运动——这个运动在 二十三年中对于革命的伟大贡献以及它的许多缺点;八路军新四军的抗日民主根据地,在这些根据地里面大批文艺工作者和八路军新四军以及工人农民的结合;根据 地的文艺工作者和国民党统治区的文艺工作者的环境和任务的区别;目前在延安和各抗日根据地的文艺工作中已经发生的争论问题。——这些就是实际存在的不可否 认的事实,我们就要在这些事实的基础上考虑我们的问题。    0-24.   現在の事実とは何か。その事実とは次の通り である。すでに5年間続けられた中国の抗日戦争、全世界の反ファシスズム戦争、中国の大地主・大ブルジョア階級の、抗日戦争における動揺および人民に対す る高圧的な政策、"五四"以来の革命的文芸運動——この運動の23年来の、革命に対する偉大な貢献とその多くの欠点、八路軍・新四軍の抗日民主根拠地なら びにこれらの根拠地での数多くの文芸工作者と八路軍・新四軍および労働者・農民との結合、環境および任務の上での、根拠地の文芸工作者と国民党支配区の文 芸工作者との相違、現在、延安や抗日根拠地の文芸活動で発生している論争問題。——これらが実際に存在する否定できない事実であり、我々はこうした事実を 基礎にして我々の問題を考える必要がある。
0-25.   那末,什么是我们的问题的中心呢?我以为, 我们的问题基本上是一个为群众的问题和一个如何为群众的问题。不解决这两个问题,或这两个问题解决得不适当,就会使得我们的文艺工作者和自己的环境、任务 不协调,就使得我们的文艺工作者从外部从内部碰到一连串的问题。我的结论,就以这两个问题为中心,同时也讲到一些与此有关的其他问题。 0-25.   それでは、我々の問題の中心は何か。我々の 問題は基本的には、大衆のためという問題、および大衆のためにどのようにするかという問題だと思う。この二つの問題を解決しなかったり、解決が当を得てい なかったりすれば、我々の文芸工作者は自己の環境、任務に適応できず、外部的にも内部的にも一連の問題につきあたるだろう。私の結論は、この二つの問題を 中心とするが、同時にこれと関連する他のいくつかの問題にもふれることにする。



「文芸講話」目次 次のページ