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 「部隊文芸工作座談会紀要」の全文  『人民中国』(1972年9号)より抜粋。

 (*)原文は「文学視界」>左傾時代文化資料こちらにあります。


《林彪同志の委託により江青同志が招集した部隊の文学・芸術活動についての座談会記録要綱》



 一九六六年二月二日から二月二〇日にかけて、江青同志は林彪同志の委託により、上海で部隊の一部の同志を招いて、部隊の文学・芸術活動のいくつかの問題について座談をおこなった。
 座談会に参加する部隊の同志が上海に来るまえに、林彪同志はかれらにつぎのような指示をあたえた。「きのう、江青同志はわたしと話しあった。江青同志は 文学・芸術活動の面で政治性がひじょうに強く、芸術の面でもくろうとであり、貴重な意見を多くもっている。諸君はこれを大いに重視し、しかも江青同志の意 見を思想と組織の面でしっかりと実際行動にうつすようにしなければならない。これから、部隊の文学・芸術についての文書は江青同志にとどけて、見てもらわ なければならない。なにか消息があれば、いつでも江青同志に連絡して、江青同志が部隊の文学・芸術活動の状況をつかめるようにし、また江青同志に意見を求 めて、部隊の文学・芸術活動を改善するようにしなければならない。部隊の文学・芸術活動は、思想性の面でも、芸術性の面でも、現状に満足してはならず、 もっと向上させなければならない」。簫華同志と楊成武同志は、今回の座談会に心からの賛助と支持の意を表し、われわれはかならず江青同志の意見にもとづい て事をはこばなければならないと指示するとともに、江青同志が部隊の文学・芸術活動にこれほど関心を寄せていることに感謝の意を表した。
 座談のはじめに、また話しあいのなかで、江青同志はなんどもつぎのように表明した。わたしは毛主席の著作にたいして勉強不足であり、毛主席の思想にたい しても体得が浅い。学びとったものだけはだんことして実行しているにすぎない。ここ四年のあいだに、比較的集中的に一部の作品に目を通し、いくつかの考え が生まれた。これらの考えが全部あたっているとはかぎらない。われわれはみな共産党員であるから、党の事業のために、対等に話しあわなければならない。こ れは昨年やるべきだったが、健康がすぐれなかったため、実行できなかった。さいきん、からだもすこしよくなったので、林彪同志の指示にもとづいて、諸同志 を招いていっしょに相談することにした。
 江青同志はまず作品に目を通し、それからいくつかの関係ある文書や資料を見たうえで話しあいに入ることを提案した。江育同志はわれわれに毛主席の関係あ る著作を読ませてくれ、また、前後八回も部隊の同志たちと個別的な話しあいをかわしたり、みんなで四回も座談をしたり、われわれに同行して、映画を一三 回、劇を三回みたりした。映画や劇をみている過程でも、その都度話しあいをおこなった。また、われわれに二一本の映画を見させた。この期間に江青同志は、 映画〈南城の長城〉の試写を鑑賞し、〈南城の長城〉の監督、カメラマンおよび一部の俳優と会見し、かれらと三回も話しあいをかわし、かれらにひじょうに大 きなはげましをあたえた。こうした接触を通じて、われわれは江青同志が毛主席の思想をかなり深く体得していること、また文学・芸術の面に存在する問題につ いて、長期にわたる、かなりつっこんだ調査・研究をおこなったり、みずから模範となるものをつくったりして、ゆたかな実践的経験を積みあげていることを感 じとった。今回江青同志は病をおして仕事にはげみ、謙虚に、熱情的に、誠意をもってわれわれと話しあい、ともに映画や劇をみて、われわれにひじょうに大き な啓発と援助をあたえたた。


 二○日間近くのあいだに、われわれは毛主席の二つの著作と関係資料に目を通し、江青同志のかずかずの、きわめて重要な見解を聞き、よい映画や悪い映画お よび程度の差こそあれ、欠陥や誤りのある映画などを三十数本もみ、また比較的成功を博した二つの革命的な現代京劇〈白虎連隊を奇襲する〉と〈威虎山奪取〉 を観賞した。そうすることによってわれわれは毛主席の文学・芸術思想への理解をいっそう深め、社会主義文化革命にたいする認識を高めた。つぎにのべるの は、今回の座談会のなかでみんなが討議し、合意に達したいくつかの見解である。

一、一六年らい、文化戦線には先鋭な階級闘争が存在している。
 実際には、わが国の革命の二つの段階、つまり新民主主義の段階と社会主義の段階をつうじて、文化戦線には二つの階級、二つの路線の闘争、つまりプロレタ リアートとブルジョアジーによる文化戦線での指導権争奪の闘争が存在している。わが党の歴史では、「左」右の日和見主義反対の闘争には、文化戦線での二つ の路線の闘争もふくまれていた。王明路線はかつてわが党内にはん濫したブルジョア思想である。一九四二年からはじまった整風運動のなかで、毛主席はまず王 明の政治路線、軍事路線およぴ組織路線に理論の面から徹底的な批判をくわえ、つづいてまた王明に代表される文化路線にも理論の面から徹底的な批判をくわえ た。毛主席の「新民主主義論」「延安の文学・芸術座談会における講話」および「〈追いつめられて梁山にのぼる〉(1)を みてのち、廷安京劇院にあてた手紙」は、とりもなおさず文化戦線での二つの路線の闘争にたいする、もっとも完ぺきな、もっとも全面的な、もっとも系統的な 歴史的総括であり、マルクス・レーニン主義の世界観と文学・芸術理論を受けつぎ、発展させたものである。わが国の革命が社会主義の段階にはいってから、毛 主席はまた、「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」と「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」の二つの著作を発表した。これはわが国と各国 の革命的思想運動、文学・芸術運動の歴史的経験についての最新の総括であり、マルクス・レーニン主義の世界観および文学・芸術理論を新たに発展させたもの である。毛主席のこの五つの著作はわれわれプロレタリアートの長期にわたる運用に足るものである。
  毛主席の、まえの三つの著作が発表されてから今日まですでに二十数年もたっており、あとの二つの著作も発表されてからすでに一〇年近くもたっている。 しかし、文学・芸術界は建国いらい、それを基本的に実行しておらず、毛主席の思想と対立する反党・反社会主義の黒い糸がわれわれに独裁をおこなってきたの である。この黒い糸とはほかでもなく、プルジョアジーの文学・芸術思想、現代修正主義の文学・芸術思想といわゆる三〇年代の文学・芸術とが結びついたもの である。「真実描写」論(2)、「リアリズム大道」論(3)、「リアリズム深化」論(4)、「題材決定」反対論(5)、「中間人物」論(6)、「硝煙臭」反対論(7)、「時代精神融合」論(8)な どが、その代表的な論点である。これらの論点は、そのほとんどが毛主席の「廷安の文学・芸術座談会における講話」のなかでとっくのむかしに批判をくわえら れたものである。映画界ではまた、いわゆる「離典背道」論、つまりマルクス・レーニン主義、毛沢東思想の経典から離れ、人民革命戦争の道にそむく主張をも ちだすものもいた。こうしたブルジョアジーと現代修正主義の文学・芸術思想の逆流の影響と支配があったために、ここ十数年らい、ほんとうに労働者、農民、 兵士の英雄的人物をたたえ、労働者、農民、兵士に奉仕するりっぱな作品または基本的にりっぱな作品は、あるにはあるが、そう多くはない。少なからぬものは 中間状態の作品であった。そのほかに多くの反党・反社会主義の毒草もあった。わわれはかならず党中央の指示にもとづいて、文化戦線での社会主義大革命を断 固としておし進め、この黒い糸を完全にたち切ってしまわなければならない。この黒い糸をたち切ってからも将来また黒い糸があらわれ、もう一度闘争をおこな わなければならないだろう。したがって、これはなみなみならぬ、複雑な、長期にわたる闘争であって、数十年、さらには数百年の努力を必要とするものであ る。これはわが国の革命の前途にかかわる大事であり、また世界革命の前途にかかわる大事でもある。
 過去十数年の教訓は、われわれがそれをつかみ遅れたということである。一部の個々の問題をつかんだだけで、全面的、系統的につかまなかった。われわれが つかまなければ、多くの陣地は黒い糸に占領されるままに放任するしかない。これはゆゆしい教訓である。一九六二年の党中央委員会第一〇回総会で、全国で階 級闘争をおこなうべきだとの決定がなされてから、プロレタリア思想をおこし、ブルジョア思想をほろぼすという文化面での闘争が一歩一歩とくりひろげられた のである。

 ニ、この三年らい、社会主義の文化大革命にはすでに新しい情勢があらわれいる。革命的な現代京劇が生まれたことはそのもっともきわだったあらわれであ る。京劇革命にたずさわる文学・芸術活動家は、毛主席をはじめとする党中央の指導のもとに、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想を武器として、封建階級、 ブルジョアジー、現代修正主義の文学・芸術にたいして勇敢で、ねばりづよい攻撃をくりひろげた。そのほこ先のむかうところ、京劇というこのもっとも堅固な とりでにも、思想内容から芸術形式にいたるまで、きわめて大きな革命がおこり、それがまた文学・芸術界の革命的な変化をひきおこすさきがけとなった。革命 的な現代京劇〈紅灯記〉〈沙家浜〉〈威虎山奪取)〈白虎連隊を奇襲する〉やバレエ〈赤軍女性中隊〉、交響曲〈沙家浜〉、塑像〈小作料取立所〉などは、すで に広はんな労農兵大衆の承認を得ており、内外の観衆のきわめて大きな歓迎をうけている。これははじめての壮挙であり、社会主義文化革命に深遠な影響をおよ ぼすであろう。このことは、京劇というこのもっとも堅固なとりでも攻め落とし、革命化することができるし、バレエ、交響曲のような外来の古典的芸術形式も 改造して利用することができるものであり、ましてその他の芸術その他の芸術の革命にたいしてなおさら確信をもつべきだということを力強く立証している。あ る人は革命的な現代京劇は京劇の伝統を捨て去り、京劇の基本的技巧を捨て去るものだといっている。事実はそれと正反対で、革命的な現代京劇こそ京劇の伝統 を批判的に受けつぎ、真に、ふるいものをしりぞけて、新しいものをうち出しているのである。京劇の基本的技巧は捨て去られたのではなく、従来のものだけで は不足を感じるようになっためであり、新しい生活を表現できない一部のものは、捨て去るべであり、またぜひそうしなければならない。そして、新しい生活を 表現するには、われわれは生活をよりどころにしてそれを精練し、創造して、京劇の基本的技巧をしだいに発展させ、ゆたかにする必要に迫られているのであ る。これらの事実はまた、さまざまな保守派やいわゆる「切符売上げ」論、「外貨獲得」論、「革命的作品輸出不可」論などに力強い反撃をくわえている。
 この三年近くのあいだの、社会主義文化革命のもう一つのきわだった実例は、思想戦線、文学・芸術戦線における、労働者、農民、兵士の広はんな大衆運動で ある。労農兵大衆のなかからは、実際から出発して毛沢東思想をたくみに解明した数多くのすぐれた哲学論文がつぎつぎとあらわれている。同時にまた、わが国 の社会主義革命の偉大な勝利をたたえ、社会主義建設のさまざまな戦線における大躍進をたたえ、われわれの新しい英堆的人物をたたえ、われわれの偉大な党と 偉大な指導者の英明な指導をたたえた数多くのすぐれた文学・芸術作品もつぎつぎとあらわれている。とくに労働者、農民、兵士が壁新聞や黒板新聞に発表した おびただしい詩歌は、内容からいっても、形式からいっても、まったく新しい時代を画すものである。
 もちろん、これらはみな社会主義文化革命の初歩的な成果であって、万里の長征の第一歩をふみだしたにすぎない。この成果を守り、発展させて、社会主義文 化革命をあくまでやりぬくためには、われわれは長期にわたる、なみなみならぬ努力をはらわなければならない。
 
 三、文学・芸術戦線での二つの道の闘争はかならず軍隊に反映してくるものである。軍隊は真空のなかで生活しているわけではないから、けっしてその例外で はありえない。中国人民解放軍は中国のプロレタリアート独裁の主要な道具であり、中国人民と世界の革命的人民のよりどころであり、希望である。人民の軍隊 がなければ、革命の勝利もありえないし、プロレタリアート独裁もありえないし、社会主義もありえないし、人民のすべてもありえない。そのため、敵はかなら ずいろいろな面からわが軍を破壊しようとするし、かならず文学・芸術という武器を利用して、わが軍を思想的にむしばもうとたくらむのである。ところがある 人は、毛主席が文学・芸術界は一五年らい党の方針を基本的に実行していないと指摘した後も、部隊での文学・芸術の方向の問題はすでに解決ずみで、主要な問 題は芸術的水準の向上にあるといっている。こうした見方は誤っており、具体的な分析に欠けている。実際には、軍隊の文学・芸術は、あるものは方向が正しく 芸術的水準もかなり高いが、あるものは方向が正しくても芸術的水準が低く、あるものは政治的方向と芸術的水準のどちらにも重大な欠陥あるいは誤りがあり、 またあるものは、反党・反社会主義の毒草である。八・一映画製作所は〈壮丁狩り〉のような悪質な映画をつくっている。このことは軍隊の文学・芸術活動も程 度の差こそあれ、黒い糸の影響をうけていることを物語るものである。また、われわれがみずから養成した、創作面で真に節金入りの人材は比較的少なく、創作 思想の面でも問題がひじょうに多く、組識の面でも不純なものがある。これらの問題にたいして、われわれは適切な分析ををくわえ、それを解決しなけばならな い。

 四、社会主義文化革命のなかで解放軍は重要な役割をはたさなければならない。林彪同志が軍事委員会の仕事を主宰するようになってから、文学・芸術活動に ひじょうに正しい指示をおこなってきた。中国共産党中央委員会軍事委員会拡大会議の「軍隊の政治・思想活動を強化することについての決議」は、部隊の文 学・芸術活動の任務は、「部隊の任務や思想状況と密接にむすぴつけて、プロレタリア思想の高揚とブルジョア思想の消滅および戦闘力の強化と向上に奉仕しな ければならない」とはっきり規定している。軍隊のなかには、われわれみずからが養成し、革命戦争の鍛練を経た文学・芸術の中堅幹部が多くおり、また一部の すぐれた作品を創作している。したがって、社会主義文化革命のなかで、解放軍はかならずしかるべき役割をはたし、勇敢に、確固たる態度で、文学・芸術を労 働者、農民、兵士に奉仕させ、社会主義に奉仕させるという方針をつらねき通すためにたたかわなければならない。

 五、文化革命では、一方ではうち破らなければらず、他方ではうち立てなければならない。指導者はみずから指導にあたり、すぐれた手本をつくりあげなけれ ばならない。ブルジョアジーは反動的な「創新独白」なるものをもっているが、われわれは新しいものをかかげ、独特なものをうち立てなければならない。われ われのいう、新しいものをかかげ、独特のものをうち立てるとは、社会主義の新しいものをかかげ、プロレタリアートの独特のものをうち立てることである。労 働者、農民、兵士の英雄的な人物を浮きぼりにするように努めなければならない。これは社会主義文学・芸術の根本的な任務である。われわれにこうした手本が あり、この面で成功した経験があってはじめて、説得力を発揮するこができ、陣地をしっかりと占領することができ、また反動派のもつこん棒をたたきおとすこ とができるのである。 
 この問題では劣等感があってはならず、誇りをもたなければない。
 いわゆる三〇年代の文学・芸術にたいする盲信を打破しなければならない。当時、左翼文学・芸術運動は、政治的には王明の「左」翼日和見主義路線(9)をとり、組織的には閉鎖主義、セクト主義であった。その文学・芸術思想は実際には、ロシアのブルジョア文芸評論家べリンスキー(10)、チェルヌイシェーフスキー(11)、ドブロリューボフ(12)およぴ演劇界のスタニスラフスキー(13)の 思想であった。かれらは帝制ロシア時代のブルジョア民主主義者であって、その思想はマルクス主義ではなくて、ブルジョア思想であった。ブルジョア民主主義 革命は、ある搾取階級が他の搾取階級にとってかわる革命であってて、プロレタリア社会主義革命だけがあらゆる搾取階級を最終的に消滅する革命なのである。 したがって、いかなるブルジョア革命家の思想をも、われわれプロレタリアートの思想運動と文学・芸術運動の指導方針とすることは断じてできない。三〇年代 にもすぐれたものはあった。それはほかでもなく、魯迅をはじめとする戦闘的な左翼文学・芸術運動である。三〇年代のなかごろになると、当時の左翼の一都の 指導者は王明の右翼投降主義路線の影響をうけて、マルクス・レーニン主義の階級的観点にそむき、「国防文学」(14)と いうスローガンをうち出した。このスローガンはブルジョアジーのスローガンにほかならない。これにたいして、「民族革命戦争の大衆文学」というプロレタリ アートのスローガンは魯迅がうち出したものである。一部の左翼文学・芸術活動家、とくに魯迅は文学・芸術は労働者、農民に奉仕すべきであり、労働者、農民 はみずから文学・芸術を創作すべきであるというスローガンをもうち出した。だが、文学・芸術が労働者、農民、兵士と結びつくという根本的な問題が系統的に は解決しなかった。当時の左翼文学・芸術活動家の圧倒的多数はやはりブルジョア民族民主主義者であって、あるものは民主主義革命の関所さえこえることがで きず、またあるものは社会主義の関所をうまくこえることができなかった。
 中国と外国の古典文学にたいする盲信を打破しなければならない。スターリンは偉大なマルクス・レーニン主義者であった。かれはブルジョアジーの現代派文 学・芸術にひじょうにするどい批判を加えたが、ロシアとヨーロッパのいわゆる古典を無批判にうけついで、悪い結果をもたらした。中国の古典的文学・芸術と ヨーロッパ(ロシアをふくむ)の古典的文学・芸術、さらにはアメリカ映画がわが国の文学・芸術界にあたえた影響は小さくなく、一部の人はそれらを経典とし て全面的にうけいれている。われわれは、スターリンの教訓をくみとらなければならない。むかしの人や外国の人のものも研究しなければならず、その研究をこ ばむのは誤りである。しかし、かならず批判の目をもって研究し、昔のものを今に役立て、外国のものを中国に役立てるようにしなければならない。 
 十月革命ののちにあらわれた、多くの比較的すぐれたソ連の革命的文学・芸術作品にたいしても、分析を加えるべきで、盲目的に崇拝してはならず、盲目的に 模放してはなおさらいけない。盲目的模放は芸術にはなりえない。文学・芸術の源は人民の生活以外にはなく、人民の生活だけが文学・芸術の唯一の源である。 古今東西の文学・芸術の歴史的過程はこのことを立証している。 
 世界では従来から新生の勢力が腐敗した勢力にうち勝ってきた。わが人民解放軍も最初は弱小であったが、ついに弱小から強大になり、アメリカ蒋介石反動派 にうち勝ったのである。内外の絶好の革命的情勢と光栄ある任務に直面して、われわれは徹底した革命派として誇りを感じなければならない。確信をもち、勇気 をふるいおこして先人が手をつけなかったことをやりとげなければならない。なぜなら、われわれの革命は搾取階級と搾取制度を最終的に一掃し、人民大衆を毒 している、搾取階級のすべてのイデオロギーを根本からとりのぞく革命だからである。われわれは党中央と毛主席の指導のもとに、マルクス・レーニン主義、毛 沢東思想にみちびかれて、われわれの偉大な国、偉大な党、偉大な人民、偉大な軍隊の名に恥じない、社会主義の革命的な新しい文学・芸術を創造しなければな らない。この文学・芸術は人民の歴史に新しい紀元を切り開く、もっとも光輝さんらんとした新しい文学・芸術である。
 しかし、すぐれた手本をつくりあげるのはけっしてなまやさしいことではない。われわれは創作中の困難にたいしては、戦略的にはかならずそれをべっ視しな ければならないが、戦術的にはかならずそれを重視しなければならない。すぐれた作品を創作することはきびしい過程である。創作の指導にあたる同志はけっし て旦那風を吹かせてはならないし、またけっして軽々しくあつかってはならないのであって、創作者と苦労をともにして、ほんとうにひたむきな努力をしなけば ならない。できるだけナマの材料を手にいれるようにし、それが不可能なばあいでも間接の材料を手にいれるようにしなければならない。失敗を恐れたり、誤り を犯すことを恐れたりしてはならない。失敗を許し、誤りを犯すことを許さなければならないし、また誤りを改めることを許さなければならない。大衆に依拠 し、大衆のなかから出て大衆のなかへはいり、長期にわたって実践をくり返し、すぐれたものにさらにみがきをかけ、革命的な政治的内容と可能なかぎり完全な 芸術的形式とを統一させるように努めなければならない。実践のなかで時をうつさずに経験を総括し、各種の芸術の法則をしだいに把握していかなければならな い。そうしなければ、すぐれた手本をつくりあげることはできないのである。
 われわれは社会主義革命と社会主義建設のテーマを十分に重視しなければならない。このことを無視するのはまったく誤りである。
 遼瀋、准梅、平津三大戦役やその他の重大な戦役をあつかう文学・芸術の創作も、これらの戦役を指導し、指揮した同志が健在であるうちに、いちはやくそれ をおこなわなければならない。多くの重要な革命史のテーマや現実のテーマについていえば、われわれは計画的に、段取りを追ってその創作を組織する必要にせ まられている。〈南海の長城〉はかならずりっぱにつくりあげなければならず、〈万水千山〉はかならずりっばに改めなければならない。また、これらの創作を 通じて、真のプロレタリアートの文学・芸術の中堅となる隊列を養成し、鍛えあげなければならない。

六、文学・芸術活動のなかでは、指導者も創作者も党の民主集中制を実行し、「衆の声」提唱し、「ツルの一声」に反対し、大衆路線を歩まなければならない。 これまで、一部のものは一つの作品を仕上げると、むりやり指導者に拍手させたり、頭をたてにふらせたりしたが、これはひじょうに悪い作風である。創作の指 導にあたる幹部は文学・芸術の創作にたいして、つぎの二点をつねに銘記しておかなければならない。第一は広はん大衆の意見によく耳を傾けること、第二はこ れらの意見をよく分析し、よいものはとりいれ、よくないもののは、とりいれないようにすることである。全然欠陥のない作品などはない。基調さえよければ、 その欠陥や誤りを指摘して、それをりっぱに改めるようにしなければならない。悪い作品はかくしてはならず、それを大衆のまえにもち出して批評させなければ ならない。われわれは大衆を恐れてはならず、断固として大衆を信頼しなければならない。大衆はわれわれに多くの基調な意見を出してくれるものである。こう すればまた大衆の識別能力も高めることができる。一つの映画をつくるには数十万元あるいは百万元以上もかかるのであって、悪い映画をそのままかくしておく とむざむざと浪費してしまうことになる。なぜそれをもち出して上映しないのか。そうすれば、創作者や人民大衆を教育することもできるし、国の経済的損失を つぐなうこともでき、思想の面でも、経済の面でも、大きな収穫が得られるのではないだろうか。映画〈兵は城下にせまる〉は長い間上映されたが、だれからも 批判されていない。『解放軍報』は論文を書いて批判してはどうか。

 七、革命的、戦闘的、大衆的な文芸批評を提唱し、少数のいわゆる「文芸批評家」(つまり方向を誤った、軟弱無力な批評家たち)による文芸批評独占をうち 破り、文芸批評の武器を広はんな労農兵大衆に握らせ、職業評論家と大衆の評論家とを結びつけなければならない。文芸批評においては、その戦闘性を強化し、 無原則的で俗悪なおだてあげに反対しなければならない。文風をあらため、わかりやすい短文を多く書くことを提唱し、文芸批評を匕首〔あいくち〕や手投げ弾 に変えて、二〇〇メートル以内の近接戦でのすじ金入りの腕を磨きあげなければならない。もちろん理論的にも高い、系統的な、比較的長い文章も書く必要があ る。専門用語で人をおどかすことに反対すべきである。こうしてはじめて、いわゆる「文芸評論家」たちの武装を解除することができるのである。『解放軍報』 や『解放軍文芸』は定期的に、または不定期に文芸批評欄を設けて、すぐれた作品を熱情をこめて支持しなければならず、またその欠点にたいしては誠意のこ もった指摘をしてもよい。悪い作品にたいしては、原則的な批判をくわえなければならない。文芸理論の面では、一部の代表的な誤った点や、一部のものが『中 国映画発展史』『中国新劇運動五〇年史料集』『京劇劇目初探』などの本のなかで歴史を偽造し、自分を引きあげようとするたくらみ、およびかれらがまきちら した多くの誤った論点にたいしては、計画的に徹底的な批判をくわえなければならない。われわれは、人からこん棒をふりまわすとののしられることを恐れては ならず、われわれのことを単純で乱暴だということにたいしてはこれを分析する必要がある。われわれの一部の批判は大体正しいが、分析に欠け、論拠が不十分 であり、説得力に乏しい。これは改善すべきである。一部の人は認識不足から、はじめのうちはわれわれのことを単純で乱暴だといっていても、やがていわなく なる。敵がわれわれの正しい批判を単純で乱暴だとののしることにたいしては、かならず断固としてそれに対抗しなければならない。文芸評論を恒常的な活動と すべきであり、文学・芸術闘争をくりひろげる重要な方法、つまり党が文学・芸術活動を指導する重要な方法とすべきである。正しい文芸評論がなければ、創作 を繁栄させることはできない。

 八、文学・芸術の面での外国の修正主義に反対する闘争では、チュフライ(15)の ような小物だけをとらえてはならない。大物をとらえるべきであり、ショーロホフをとらえ、かれに体当りする勇気がなければならない。かれは修正主義文学・ 芸術の元祖である。かれの『静かなドン』や『開かれた処女地』『人間の運命』は、中国の一部の作家と読者に大きな影響をあたえている。軍隊は一部の人を組 織してこれらの作品を研究し、分析があり、論拠もゆたかで、説得力のある批判論文を書いてはどうだろうか。これは中国にたいし、また世界にたいしてもひ じょうに大きな影響をあたえるものである。国内の作品にたいしても、このようにしなけれはならない。

 九、創作の方法については、革命的リアリズムと革命的ロマンチシズムとを結びつける方法をとらなければならず、ブルジョアジーの批判的リアリズムとブルジョアジーのロマンチシズムをとりいれてはならない。
 党の正しい路線に導かれてつぎつぎとあらわれた労働者、農民、兵士の英雄的な人物、そのすぐれた品性は、プロレタリアートの階級性の集中的なあらわれで ある。われわれはあふれるばかりの熱情をかたむけ、あらゆる手をつくして労働者、農民、兵士の英雄的な形象を浮きぼりにしなければならない。典型をつくり あげることについて、毛主席は「文学・芸術作品に反映されている生活の方が普通の実際生活にらべて、より高度で、より強烈で、より集中的で、より典型的 で、より理想的で、したがってまた、より普遍的であることができ、また、そうあるべきである」とのべている。実在の人物や事実にこだわってはならない。英 雄が死んでから英雄について書くようなことをしてはならない。実際には、生きている英雄の方が死んだ英雄よりはるかに多いのである。そのためには、われわ れの作家が長期にわたる生活の蓄積のなかから集中的に概括をおこない、いろいろな典型的人物をつくり出さなければらない。
 革命戦争を書くばあい、まず戦争の性格をあきらかにし、正義は敵の側にはなく、われわれの側にあることをはっきりさせなければならない。作品のなかで は、かならずわれわれの困難にめげないたたかいと英雄的な犠牲をえがかなければならないが、同時に革命的な英雄主義と革命的な楽観主義もえがかなければな らない。戦争の残酷さをえがくばあい、戦争の恐ろしさを誇張したり、讃美したりしてはならないし、また革命闘争のきびしさをえがくばあい、その苦しさを誇 張したり、讃美したりしてはならない。革命戦争の残酷さと革命的な英雄主義、革命闘争のきびしさと革命的な楽観主義は、いずれも対立物の統一であるが、な にが矛盾の主要な側面であるかをはっきりさせなければならない。さもなければ、この関係をとりちがえ、ブルジョア平和主義の傾向が生まれてくることとなろ う。このほか、人民革命戦争をえがくばあいには、遊撃戦を主とし、運動戦を従とする段階であろうと、また運動戦を主とする段階であろうと、党の指導する正 規軍と遊撃隊と民兵の関係、武装した大衆と武装していない大衆との関係を正しくえがかなければならない。
 テーマを選ぶには、生活に深くはいっていき、調査・研究をりっぱにおこなわなければならず、そうしてはじめて、正しく的確にそれを選ぶことができるので ある。劇作家は長期にわたって、無条件に、はげしい闘争生活のなかに深くはいっていくべきで、監督、出演者、カメラマン、美術関係者、作曲家などの人も生 活に深くはいっていき、調査・研究をりっぱにおこなうべきである。これまで、一部の作品は歴史的事実をねじまげ、正しい路線をしめさず、もっぱら誤った路 線をえがいてきた。一部の作品は英雄的人物をとりあげても、すべての規律を犯す人物としてえがき、あるいは英雄的人物像をつくりあげても作為的な悲劇的結 末でかれを死なせている。一部の作品は英雄的な人物をえがかず、もっぱら中間的人物、実際には立ちおくれた人物をえがき、労働者、農民、兵士の形象を戯画 化している。ところが、敵をえがくばあいには、人民を搾取し抑圧する敵の階級敵本質を暴露せず、はては敵を美化してさえいる。また一部の作品は、もっぱら 恋愛や低俗な趣味をあつかい、「愛」と「死」は永久のテーマなどといっている。これらはみなブルジョア的、修正主義的なものであって、断固として反対しな ければならない。


 十、文学・芸術関係の幹部を再教育し、文学・芸術の隊列を再編成しなければならない。歴史的原因によって、全国が解放される前、われわれプロレタリアー トが敵の支配下で自分の文学・芸術活動家を養成するには一部の困難があった。われわれの文化水準もわりに低く、われわれの経験もわりに少なかった。わわれ の多くの文学・芸術活動家はブルジョアジーの教育をうけて養成されたものであり、革命的文学・芸術活動に従事する過程で、一部のものは敵の迫害に耐えられ ずに革命を裏切り、あるいはブルジョア思想の腐食に耐えられずに堕落変質してしまった。われわれは根拠地でかなり多くの革命的文学・芸術活動家を養成した ことがある。とくに「延安の文学・芸術座談会における講話」が発表されたのちには、かれらは正しい方向をつかみ、労働者、農民、兵士と結びつく道を歩み、 革命の過程で積極的な役割を果たした。問題は、全国解放後、大都市にはいってから多くの同志が、われわれの文学・芸術の隊列にたいするブルジョア思想の侵 食に抗しきれず、あるものはる前進の途上で落後してしまったことである。われわれの文学・芸術はプロレタリアートの文学・芸術であり、党の文学・芸術であ る。プロレタリアートの党派性の原則は、われわれと他の階級とを区別するもっともはっきりした目じるしである。他の階級の代表者にもかれらなりに党派性の 原則があり、しかもそればひじょうに根強いものであることを知っておかなければならない。創作思想の面でも、組織路線の面でも、また工作作風の面でも、プ ロレタリアートの党派性の原則を堅持して、ブルジョア思想の浸食に反対しなければならない。ブルジョア思想とは一線を画さなければならず、けっして平和共 存をしてはならない。いま文学・芸術界に存在しているいろいろな問題は、大多数の人についていえば、それは思想・認識の問題であり、教育・向上の問題であ る。毛主席の著作を真剣に学習し、活学活用し、思想と結びつけ、実際と結びつけ、問題をたずさえて学習しなければならない。そうしてこそ、ほうとうに学ん だものがわかり、理解するようになり、身につけることができるのである。長期にわたって生活に深くはいっていき、労働者、農民、兵士と結びつき、階級的自 覚を高め、思想を改造し、名利を追わず、ひたすら人民に奉仕しなければならない。われわれは生涯を通じて、マルクス・レーニン主義、毛主席の著作を読みつ づけ、革命をおこなうように、われわれの同志に教育しなければならない。とくにプロレタリアートの晩節をまっとうするように気をくばらなければならない。 晩節をまっとうすることはなみたいていのことではないのである。



 座談を通じて、われわれは前にのべた問題にたいして比較的はっきりした認識をもつようになった。これらの問題にたいする見解もみな軍隊の文学・芸術活動 の実際的状況に合致している。したがってわれわれの自覚は高まり、社会主義文化革命にたいする決意と責任感は強化された。われわれはひきつづき毛主席の著 作をりっぱに学び、真剣に調査・研究をおこない、モデル・ケースをりっぱにつくり、手本をりっぱにつくって、このプロレタリア思想をおこし、ブルジョア思 想をほろぼす文化革命闘争のなかで、りっぱに指導的役割を果たさなければならない。   

〈紀要・注〉



(1) 〈追いつめられて梁山にのぽる〉
  この劇は、一九四三年に廷安中央党学校クラブ大衆芸術研究所によって集団創作され、『水滸伝』の中の林冲についての物語に手を加えて歴史劇に仕上げたものである。
 劇の主題は、封建的支配者に反抗するたたかいの中でしめした人民大衆の偉大なカが、封建的支配者にたいする幻想をいだいていた林冲を教育し鍛え、改造す る。かれはついに最後の道へと追いつめられ、蜂起した人民の側に立つ決意を固め、″梁山にかけのぼって″封建的支配者に反抗する正しいたたかいの道を歩む ようになるというものである。


(2) 「真実描写」論
 「真実描写」論は、反革命分子胡風らの創作上の修正主義的主張である。反革命修正主義分子一味は、「真実描写」という看板をかかげて、社会主義の文学・ 芸術の階級性、傾向牲に反対し、文学・芸術が社会主義の精神で人民を教育することに反対した。かれらは、社会主義の現実の生活の中にもっぱら黒い一角や歴 史のちりあくたをさがそうとして、「真実描写」をよびかけた。その目的は、光に満ちた社会主義社会を黒一色に塗りつぶそうとすることにあった。
(3) 「リアズム大道」論
 文学・芸術界の一部の反党反社会主義分子は、毛主席の「延安の文学・芸術座談会におけ講話」に反対し、それがすでに時代おくれになったのでほかに「広び ろとした道」なるものをひらかねばならないと言った。かれらは、作家たちに「各人の生活の経歴や修養、気質、芸術的個性などさまざまの条件のちがい」にも とづいて、書きたいものを書き、労農兵に奉仕する方向から離れて「創造性を発揮する限りない広びろとした天地」をさがし求めるようよびかけた。


(4) 「リアリズム深化」論 
 もと中国作家協会副主席、反革命修正主義分子邵橦麟が「中間人物をえがく」ことをよびかけるとともに、「リアリズム深化」の理論を提起した。この理論 は、作家が人民大衆の身についている「ふるいもの」を表現し、「数千年来の単独経営の農民の精神的重荷」を概括し、入り組んで複雑な性格をもった「中間人 物」像をえかくことによって、単独経営の経済から集団経済へ移る農民の「苦難の過程」をえがくことを要求した。かれは、そうしてこそ、現実性をもっている といえるのであり、そうしさえすれば、リアリズムは「深化」することになり、これに反して、人民大衆の革命的な英雄主義をたたえ、人民大衆の英雄像をえが くのは、かえって真実のものではなく、現実的なものではない、とした。「リアリズム深化」論は、一種のひじょうに反動的な文学・芸術理論である。
(5) 「題材決定」反対論
 「題材決定」反対論は、田漢、夏衍などの反革命修正主義分子がさかんに鼓吹した反社会主義の文学・芸術思想である。プロレタリア作家はどんなテーマを選 び、書く場合も、まず第一にそのテーマが人民にとって有益であるかどうかを考える。ひとつのテーマを選び、それを書くのはみな、プロレタリア思想を興し、 ブルジョア思想を滅ぼし、大衆があくまで社会主義の道を歩むように毛沢東思想をもってはげますためである。「題材決定」反対論者は、こうした正しい主張が しゃくし定規であり、「徹底的にそれをうち破る必要がある」とした。かれらはテーマをひろげるという口実で、「人情味」や「人類愛」「小物」や「小さなこ と」をえがくことを強調した。こうした主張は、実際には、文学・芸術をプロレタリアートの政治に奉仕する軌道からそらそうとするものであった。
(6) 「中間人物」論
 「中間人物をえがく」という誤った主張
の おもな唱道者は、邵橦麟である。かれは、一九六〇年の冬から一九六二年の夏にかけて、この主張をくり返した。かれは、中国の貧農、下層中農の大多数を社会 主義と資本主義の間を動揺している「中間状態」にある人間だと誹謗し、文学・芸術作品はこうした「中間人物」を数多く書くべきだと主張した。その目的は 「中間人物をえがく」ことをつうじて、社会主義にたいする懐疑や動揺の感情をふりまき、文学・芸術作品の中に社会主義時代の英雄をえがくことに反対し、そ れをボイコットすることにあった。
(7) 「硝煙臭」反対論
 現代修正主義の文学は、大いに戦争の恐柿をばらまき、「存命哲学」、降伏主義を宣伝し、人民の闘志をゆるめ、帝国主義のために骨を折っている。この数年 釆、中国でも一部の者が、文学作品に硝煙のにおいがひどすぎると騒ぎたて、作家は「革命の経典」を離れ、「戦争の道」にそむかねばならない、と言った。 「硝煙臭」に反対するという主張は、その本質において、中国の文学・芸術界における修正主義の文学・芸術思潮の反映である。
(8) 「時代精神融合」論
 ブルジョア学者周谷城を代表とする人びとがもちだした反マルクス・レーニン主義の誤った議論である。周谷城は、時代精神が時代の前進をおしすすめる精神 であり、時代精神を代表するものが時代の前進をおしすすめる先進的な階級であることを認めなかった。かれは、「異なった階級の異なった思想意識」が「合 流」してこそ、時代精神といえるのであり、「非革命、不革命、ないしは反革命のきまざまの」精神もみな、時代精神の中に包括されねばならない、と主張し た。「時代精神合流」論は、正真正銘の階級協調論であり、徹頭徹尾の反動理論である。
(9) 王明の「左」翼日和見主載路線
 一九三一年一月の中国共産党第六期中央委員会第四回総会から、貴州省遵義で開かれた一九三五年一月の党中央政治局会議までの期間の王明(陳紹禹)、博古 (秦邦憲)のふたりを代表とする「左」翼路線のこと。それは、中国経済における資本主義の比重を誇張し、中国の当時の革命における反ブルジョアジー、反富 農闘争の意義を誇張し、全国的な「革命の高まり」と全国的範囲にわたる党の「攻撃路線」をひきつづき強調した。この誤った「左」翼路線は、四年ものあいだ 党を支配し、党と革命にひじょうに大きな損失をもたらした。         ′
(10) べリンスキー(一八一一〜一八四八年)
 ロシアのブルジョア民主主義者、文学評論家、哲学者、美学者。
(11) チェルヌイシェーフスキー(一八二八〜一八八九年)
 ロシアのブルジョア民主主義者、評論家、作家。
(12) ドブロリューボフ(一八三六〜一八六一年)
 ロシアのブルジョア民主主義者、文芸評論家。
(13) スタニスラフスキー(一八六三〜一九三八年)
 ソ連の演出家、俳優、演劇教育・理論家。
(14) 国防文学
 ブルジョアジーのスローガンで、王明の右翼日和見主義路線の産物。一九三五年、王明は「植民地、半植民地の革命運動と共産党の戦術について」を発表し た。この論文は、右翼日和見主義の立場に立って反帝統一戦線を解釈し、プロレタリアートの指導権を根本的に認めず、全人民の共同の利益を強調し、階級融 和、階級投降主義を主張した。一九三六年、反革命修正主義分子の周揚は、上海の文学雑誌に相ついで文章を発表して、「国防文学」のスローガンをうち出し、 「国防文学」は「全民族の文学」であると強調し、プロレタリアートの指導権にはまったくふれなかった。周揚はまた、抗日民族統一戦線をつくることを口実に して、階級闘争を完全に解消した。周湊は地主、官僚、買弁、ブルジョアジーに迎合して、プロレタリアートの原則をなげすて、ブルジョア作家の役割を誇張 し、プロレタリアートの革命文学の指導的役割をとりけすことを主張した。
 「国防文学」という階級投降主義の誤ったスローガンにたいして、魯迅は、プロレタリアートの革命文学の旗を高くかかげ、「民族革命戦争の大衆文学」というスローガンをはっきりとうちだした。
(15) チュフライ(一九二一年〜)
 ソ連の修正主義分子、映画監督。代表作は修正主義の映画〈女狙撃兵マリュートカ〉〈兵士の歌〉