江青「京劇革命を語る」
一九六四年七月、北京における京劇現代劇コンクール出演者の座談会での講話
* 青藍社翻訳室訳『江青同志論文芸——江青 政治・文学・芸術論集——』、青藍社、1974年2月より抜粋させていただきました。
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| わたしは今回の公演にお祝いを申し述べます。 みなさんの極めて大きな努力は、京劇革命の最初の戦いであり、すでに喜ばしい成果を収め、その影響も比較的おおきいものといえます。 京劇革命現代劇は演じられましたが、みなさんの認識は一致したでしょうか、わたしのみるところ、そうではないと思います。 京劇が革命的現代劇を演じるということについての信念は、きっばりとしたものです。共産党の指導する社会主義祖国の舞台で、主要な地位を占めるのが、労 働者・農民・兵士ではなく、これら歴史の真の創造者でなく、これら国家の真の主人公でないということは、とうてい考えられないことです。わたしたちは、自 己の社会主義経済の基礎を守る文芸を作り出すべきです。方向がはっきりしない時は、方向をはっきりとさせるべきです。わたしはここで二つの数字を持ち出 し、みなさんの参考に供したいと思います。この二つの数字は、わたしにとって心胆を寒からしめるものです。 第一の数字は、全国に劇団が、不完全な統計で三千(余暇利用の劇団、非公然の劇団は含んでいません)あります。そのうち九十あまりは専門の新劇団で、八 十ちょっとは文化工作団で、その他の二千八百あまりは戯曲劇団です。戯曲の舞台はすべて帝王将相、才子佳人であり、また妖怪変化であります。九十いくつか の新劇団もすべて労働者・農民・兵士を表現したものではなく、やはり“一に大人物、二に西洋もの、三に古いもの”で、いうならば新劇の舞台も中国、外国の 昔の人物に占領されています。劇場は元来人民を教育する場所ですが、今や舞台はすべて帝王将相、才子佳人であり、封建主義一色、ブルジョア階級一色となっ ています。こうした情況では、われわれの経済基礎を守ることはできないばかりか、われわれの経済基礎を破壊する作用となります。 第二の数字はわが国全土の労働者・是民・兵士は六億数千万人おり、ほかに一握りの地主・富農・反革命分子・不良分子・右派分子とブルジョア分子がいま す。この一握りの人に奉仕するのか?それとも六億数千万の人びとに奉仕するのか?この問題はたんに共産党員が考えねばならないことであるばかりか、およそ 愛国主義思想をもつ文芸工作者すべてが考えなければならない問題です。 農民の作った食糧をたべ、労働者が織った着物をき、労働者が建てた家に住み、人民解放軍が国防の前線でわれわれを守っている、それなのにかれらを表現し ようとしない。こういうことでは芸術家はどういう階級的立場に立っているというのでしょうか、あなた方がいつもいっている芸術家の“良心”はどこへいった のでしょうか? 京劇が革命的現代劇を演じるということについて、あるいは反対があるでしょう。しかしわたしが先に述べた二つの数字をよく考えて下さい。そうすれば反対 はないでしょうし、あってもそれは少ないものとなるでしょう。たとえ反対があっても大したことではありません。歴史は曲りくねって前進するものです。しか し歴史の歯車は絶対あと戻りはしないのです。わたしたちの提唱している革命的現代劇は、建国十五年来の現実の生活を反映したものでなければならず、われわ れの戯曲の舞台で、現代の革命英雄の形象を作り出すものでなければなりません。これが最も重要な任務です。わたしたちも歴史劇が不要だというのではありま せん。 今回のコンクールでも、革命歴史劇の占める比重は小さくありませんでした。われわれの党の成立以前の人民の生活、闘争を描いた歴史劇もやはり必要です。 そのうえ、手本としての本当に史的唯物主義の観点に立った古いものを、今に適用した歴史劇を作り出す必要があります。当然主要な任務(現代生活を表現し、 労働者・農民・兵士の形象の創造)を妨げないという前提のもとで歴史劇をやるのです。伝統的な劇もすべて不要というのではありません。妖怪物や投降、変節 をたたえた劇以外のよい伝統劇はすべてできる限り上演してよいのです。しかしこれらの伝統劇は真面目に整理し、手を加えなかったら見る人はありません。 わたしはかつて二年あまり系統的に劇場で出演者、観衆を観察し、伝統劇をもし真面目に手を加えなかったらみる人はないという結論を得ました。今後、伝統劇の整理、手入れの仕事はやはり必要です。しかしこれら すべてを第一の任務に替えることはできません。 次になにから手をつけるかという問題について話します。 わたしは脚本だと思います。脚本がないと演出者、俳優がいてもどうにもなりません。ある人は“脚本、脚本こそ演劇の元”といいましたがその通りです。ですから創作をしっかりとつかむ必要があります。 近年来、戯曲の創作は遙かに現実より立ちおくれています。京劇の創作にいたってはまったく話になりません。脚色者は少なく、活気に乏しいのではよい脚本 が創作できないのも当り前です。創作をしっかりつかむ鍵は指導者、専門家、大衆の三者が結びつくことです。わたしは、最近「南海の長城」の創作経験を研究 しましたが、かれらはこのようにしたのです。まず指導者が題目を出し、作者らは三度にわたって実際の現場に下り、そのうえ、自ら敵のスパイを激減する軍事 行動に参加しました。脚本の脱稿ののち広州部隊の多くの責任者同志自身が、脚本の討論に参加しました。練習ののち広く意見を求め、脚本を書き変えました。 こうしてたえず意見を求め、たえず修正したため、比較的短い時間のうちに、こうした時宜にかなった現実の闘争を反映したよい劇ができあがったのです。 上海市委員会は創作にカを入れ、柯慶施同志が自らカを入れたのです。各地でも有力な幹部が、しつかりと創作にカを入れなければなりません。 短期間の間に京劇が直接脚本を創作することは、やはり非常に難しいでしょう。だからまず関係者を選抜して、若干の専門訓練をうけさせ、その後生活の中に とけこませ、とりあえず小編を書かせ、次第に長編を創るようにすべきです。小編が立派にできること自体意義のあることです。 創作では、新しいカを養成し、下放(訳注、農村、工場などの現場に降りて、実際生活を体験すること)すれば三年、五年とたてば実を結ぶでしょう。 次の問題は移植することです。これもよいことです。移植では慎重に選択することが大切です。第一に政治傾向がどうか、第二にその劇団にあうかどうかをみ なければなりません。移植するとき原作を充分分析しなければなりません。改編された京劇については、二つの面に注意する必要があります。一つは京劇の特 徴、すなわち歌、立ちまわり、台詞が京劇の韻律にあっていて、京劇の用語にあっていなければ、俳優は演じることができません。もう一つは俳優に対し過度に 妥協する必要はないのです。脚本はやはり主題が明確で、構成が緻密で、人物がはっきりと出ていることが大切で、幾人かの主演俳優に、それぞれ一人づつの山 を作り、そのため全体として、はっきりしないものになってしまってはいけないのです。 京劇という芸術は誇張されたもので、同時にこれまで旧時代、旧人物を表現してきました。ですから否定的な人物の表貌は比較的やさしく、またこのためにこ れを喜ぶ人もいます。正面からの肯定的人物を作り出すことは、極めて容易ではありません。しかしわれわれはやはり先進的な、革命的英雄を必ずつくり出さね ばなりません。 上海の「知恵をめぐらして威虎山を奪取する」の最初の劇では、否定的人物が大いにのさばり、肯定的人物は小さくなっていました。指導者の努力で、この劇 は肯定的に書き改められました。今では定河道の場面は一部削られ、座山雕の部分は基本的に前のままです。(座山雕を演じる俳優は非常に上手です)しかも楊 子栄と少剣波がひき立ったため、否定的人物はかすんでしまいました。きくところではこの劇に様々な見方があるようで、この問題は一度討論してみるべきで す。どちらの立場に立つのか、肯定的人物の側か?それとも否定的人物の側か? 肯定的人物を描くことにまだ反対する人がいるそうですが、これは誤りです。 よい人というのはやはり大多数を占めています。たんにわれわれ社会主義国家がそうであるばかりか、帝国主義国家でも大多数はやはり労働者なのです。修正主 義国家でも、修正主義者はやはり少数なのです。われわれは、先進的革命家の芸術的形象を創り出すことに重点をおき、みんなを教育し、鼓舞し、その前進を促 すのです。 われわれの作る革命現代劇の主目的は肯定的人物を賛美するにあります。内蒙古芸術劇院京劇団の「草原英雄小さな姉妹」は非常によい作品です。作者の革命 的感情が、この二人の小さな英雄の先進的な出来事によって激しく動かされ、この劇が出来あがったのです。その中の一部には、極めて感動的なところがありま す。ただ作者に実際の生活体験が乏しいことと、完成を急いだために粗雑なところがあり、始めと終りの出来はあまりよくありません。例えていうと一幅の立派 な絵が、粗末な枠の中に収まっているといったところです。この劇には、このほかに注目に値する点があります。それは児童、少年のために書かれた京劇という 点です。つまり、この劇は基薙がしっかりしていて、質のよいものです。作者が再び実際の生活の中に入り、充分修正されるように希望します。 わたしは、われわれ自身の労働を重視し、出来たものを軽々しく捨て去らないことが大切だと思っています。ある同志は出来上がったものを改めることを喜ば ないが、これではより大きな成果をかちとることはむつかしいのです。この点で上海のはよい典型です。かれらは一度ならず二度も改めようとし今日みるような 「知恵をめぐらして威虎山を奪取する」を創りあげました。 . 今回競演した劇は帰ってから引き続き加筆すべきです。一たん完成してしまうと、なかなか崩せないものです。最後に、わたしは、今回みなさんが相互に劇について学習しあい、この大会の成果を全国の舞台で、各地の広範な観衆に観せていただくよう希望します。 |