ホーム  「朝霞叢書」研究>収録作品


このページでは、文革期文学の中心的役割を果たした「朝霞叢書」について解説しています。


「朝霞叢書」とは何か?


・部隊文芸工作座談会紀
要』の出現

 1966年、江青は林彪の委託を受け解放軍の文芸座談会を開き、翌年4月18日、『解放軍』社説がその座談会の内容、『部隊文芸工作座談会紀要』を公表しました。
 『紀要』は建国後の文芸を完全に否定し、「人類の歴史の新紀元的文芸を切り開こう」と新しい文芸の誕生を呼びかけたものでしたが、それと同時にそれまで 活躍していた作家、芸術家をすべて批判、闘争の対象として創作の権利を奪い、さらにほとんどの文芸雑誌を停刊させたため、その後数年にわたり中国の文芸界 は停滞を余儀なくされました。

・1972年——文革期文学の本格的スタート
 
  しかし、1972年を境に文芸界では変化が起きます。まず前年の12月に『人民日報』が一面のトップに「社会主義の文芸創作を発展させよう」を発表 し、毛沢東の題字「希望有更多好作品問世」をあわせて載せました。これを契機として文芸界は徐々に活動を再開します。
 1972年に入ると『虹南作戦史』、『牛田洋』といった、その後「経典」と称される長編小説が出版され、また文革で批判された作家も部分的に復活し、文芸雑誌の復刊、建国後文学の再版も相次いで行われました。
 こうした状況の背景には、1971年9月の林彪事件を契機に、文革で批判された幹部が大量に復活したことがあったと考えられます。しかし作家たちの復活 は、決して彼らへの批判が取り消されたということではなく、あくまでも現体制を賛美するという枠の中でその創作活動を許可されたものでした。
 こうして、1972年からいよいよ、江青らの目指す「人類の歴史の新紀元的文芸」の大実験が開始されます。

・「朝霞叢書」の出版

  文革期文学の担い手となったのは大きく分けると、文革前から活躍し文革で批判された後、復活してきた作家と、文革後初めて創作を開始した労農兵(労働 者、農民、兵士)出身の作家とに分けられますが(文革前、文革中、一貫して活躍した浩然を除きます)、江青らは文革前の文学を完全に否定したわけですか ら、その中心となるよう期待されたのは当然後者の新たな作家たちでした。 
 1973年、労農兵作家から創作を募集し編集した『朝霞』、『金鐘長鳴』、『鋼鉄洪流』、『珍泉』の四冊が「上海文芸叢刊」として出版されます。その 後、1974年に「上海文芸叢刊」は「朝霞叢書」としてまとめられ、『青春頌』、『戦地春秋』など、江青らが打倒されるまで合計十二冊が出版されました。
 75年6月にはそれまでの「朝霞叢書」に発表された作品の中から、高い評価を与えられた作品(《初春的早晨》、《第一課》、《金鐘長鳴》など)を中心に編集された『序曲』が出版されます。
 『序曲』はその序に任犢の「新しい人間、新しい世界を情熱的に賛美しよう」を載せ、「文芸とは革命機械の一つの組成部品であり、政治に奉仕しなければな らない」という毛沢東の文芸観を再度強調していますが、この精神は「朝霞叢書」のすべての作品に共通するものです。
 「朝霞叢書」は、江青らが刊行した月刊文芸誌『朝霞」とともに、「文化領域を含む上部構造において、プロレタリア階級によるブルジョア階級に対する全面 独裁」を実現したものとして宣伝され、その後の文芸界を文芸理論、創作方法といったあらゆる面で統制、リードしていくことになりました。
 つまり「朝霞叢書」とは、文革期文学を代表し、文革の目指した理想社会を非常に純粋な形で描き出した創作集であると言ってよいでしょう。

・「朝霞叢書」の内容

 「朝霞叢書」に収録された作品のほとんどは、文化大革命期の現在の社会を舞台にしています。大変特徴的なのは現在の社会の中でも、とりわけ政治に関連す る事柄を描いた作品が多いことです。例えば、上海の一月風波、労働者宣伝隊、紅衛兵、教育革命、知識青年の山上下郷などはいくつもの作品に描かれています し、より具体的な、風慶号事件、カタツムリ事件、右からの巻き返しの風に反撃する運動、なども多くの作品で扱われています。
 「朝霞叢書」は主にこうした政治事件を背景に、主要な英雄人物(革命的幹部、革命的労働者、革命的知識青年)が、大衆の支持の下、階級敵対勢力(地主、 富農、反動資本家、党内の資本主義の道を歩む実権派)の資本主義復活計画を暴露することで、問題人物("階級闘争"の自覚が足りず、敵対勢力に騙され、あ るいは道徳上問題がある人物)を教育し、一致団結して社会主義社会の実現に邁進するいきさつを描いています。

・「朝霞叢書」の作家

 「朝霞叢書」は労農兵による創作をうたい文句に、これまでの文芸とは一線を画すことを繰り返し強調していましたが、創作の経験が少なく、また創作に必要 と考えられる文化的教養が豊富とは言えない労農兵作家にとって、創作の持続は非常に困難で、「一冊本作家」と呼ばれる処女作がその最終作となる作家がほと んどでした。このため、実際には「朝霞叢書」の少なからぬ作品が江青らの御用執筆グループによって創作されていたことが現在の研究で明らかになっていま す。
 しかし、そうした中にも本当の文学的才能を持つ労農兵作家(彼らの多くは、公社や工場で労働するかたわら、その体験をもとに作品を発表する紅衛兵世代の 知識青年でした)も誕生し、彼らはその後の新時期文学で大いに活躍することになりました。そうした作家には「朝霞」月刊を含めると、莫應豊、張長弓、梅紹 静、王小鷹、諶容、劉心武、徐剛、劉万隆、梁暁声、金華、買平凹、葉○林、路遥などがいます。
  文革期文学でデビューし多くの作品を発表したものの、文革終息後は、文学活動を停止した作家には、姚真、桃克明、史漢富、段瑞夏らがおり、文革期前に すでに作家として名をなし文革期にも創作を発表した作家としては、胡万春、任大森、李瑛、賀敬之、顧工、草明、張永枚、瑪拉泌夫、茹志鵑、臧克家、姚雪垠 らがいます。





(今後、付け加える項目)
・文革後の「朝霞叢書」に対する“陰謀文芸”批判

・現在の「朝霞叢書」に対する評価

・「朝霞叢書」研究の意義と課題

・「朝霞叢書」研究の問題点